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ロボットの開発設計はアサイ・エンジニアリングへ!
株式会社アサイ・エンジニアリング

プロテスト?

皆さん こんにちは!

5月に入り、ホントに暖かくなってきましたね。
で、なんか、こう、ビールの美味い季節になってきまして、油断してると、つい、飲み過ぎてしまったりします。
なので、私はビールの買い置きはしないようにしているんですよ。キリがないので・・・

さて、余談はこれぐらいにしまして、5月と言えば、模型ファンにはおなじみの『静岡ホビーショー』がありますね。

で、今年のホビーショー、私も もちろん行ってきました。
正式名称は『第56回静岡ホビーショー』と、言うようです。

まあ、会場の様子とか、新製品情報だとかは、他に詳しいレポートが沢山あると思いますので、そっちをご覧いただくとして、今回は、静岡ホビーショーにまつわる私の体験談など、お話しようかと思います。

なんか、こう、私、静岡ホビーショーに行くと、いつも初心に戻っちゃうんですよ。
というのも、私がプロデビュー?したのが、静岡ホビーショーだったからなんです。
まあ、今からちょうど32年前、つまり1985年のハナシなんですが・・・・

タミヤ本社 (出典:wikipedia)

●新入社員研修
前にも書きましたが、私は1985年にタミヤ(当時は田宮模型)に入社しました。
で、1985年の5月と言えば、私は新入社員研修の真っただ中だったのであります。
この研修の内容については、それこそ(これも前に書きましたが)一冊の本が書けてしまうほどなので割愛しますが、チョットだけ概要をお話しましょうか。
その期間は、なんと3か月!(4月の入社から6月末まで・今はどうなんでしょうね?)
この3か月間に金型部やアフターサービス部、デザイン室、製造部、成形工場など、社内のさまざまな部署で業務を体験するんです。
まあ要するに、この3か月間に『タミヤ・スタンダード』を叩き込まれるわけですな。

●プロテスト?
そんな研修期間も1か月が過ぎ、そろそろ5月病?かなと思っていたある日、企画部の課長から出頭命令?が来ました。
指定の日時に本社の屋上に来るようにとの事です。(確か、昼休みだった)
で、その頃、私は研修でヘマばかりやっていたので
「いよいよクビかな?」
などと、ネガな妄想を膨らませながら行ってみたんですよ。
すると、屋上の簡易RCサーキットに二人の人物が立っていました。一人は私を呼び出した課長、そしてもう一人は、なんとラジコン博士の滝文人さんでした。
あこがれの滝博士との初対面でしたが、しかし、見習いの身なので感慨にふけっているヒマなどありませんでした。そして
「プロテストだよ」
といきなり告げられ、送信機を渡されました。
(機種は思い出せない・フタバさんのATTACKだったような・・・)
なお、走行させるRCカーは当時デビューしたばかりの4駆バギー『ホットショット4WD』でした。

ホットショット4WD

「ちょっとコースを走らせてみて」
と言われ、恐る恐る周回を始めました。

ほどなく滝さんが
「良いんじゃないの」
と言って、その場を去って行きました。
すると、前述の課長から
「とりあえず合格。キミには今度の静岡ホビーショーでデモ走行要員をやってもらうから、そのつもりで」
と、言い渡されました。

これは後で聞いた話ですが、当時のタミヤ社内にはRCの操縦が得意な社員が少なくて、デモ走行要員の人選に苦慮していたらしいのです。
まあ、もちろん、設計室のラジコン班の方々は、操縦が上手いんですけれども、しかし、皆さん開発業務が多忙で、デモ走行まで手が回らないといった状況だったのです。

そんな中、タミヤグランプリの担当者の方が
「研修生の浅井君はセニア・ドライバーだよ。デモ走行をやらせてみたら?」
と進言したという事でした。
当時のタミ・グラはドライバーの技量によってフレッシュマン、セニア、エキスパートの三つのクラスに分かれていたのですが、高校生の時からタミ・グラに出場していた私は、1980年にセニア・ドライバーに昇格していたのです。
しかし、まあ、要するに、RCの操縦ができるヒマな社員は、私しかいなかったという事しょうかね。

1985年静岡ホビーショーのタミヤブース。 右上にデモ走行のコースが映っています。

●いよいよホビーショー
記録によれば、この年の静岡ホビーショーは5月の24日から26日までの3日間だったようで、正式名称は『第24回静岡プラスチックモデル見本市』でした。
会場は、現在もホビーショーが行われているツインメッセ静岡と同じ場所ですが、当時は北館が出来ておらず、静岡産業館と呼ばれていました。

さて、このホビーショーでのタミヤの目玉商品は、何と言っても『ホットショット4WD』でした。このため、デモ走行も当然ながら、ホットショットが主役です。
しかし、その舞台となるデモ・コースを初めて見た時、私は唖然としてしまいました。(それが今回の見出し画像)
長方形のコースの端がスケートボードのハーフパイプのようにカーブを描いて立ちあがり、垂直の壁になっています。その壁には大きく『HOT SHOT』のロゴが描かれていました。
先輩の話では、4WDの機動性を最大限にアピールするため、この壁でホットショットにエア・ターンをさせると言う事でした。
これには私、ちょっとショックを受けました。だって、難易度がとっても高そうだったんです。
実はその頃(今もですが)、私は操縦の腕には自信が無かったのです。
なぜなら、私は設計者になりたかったのであって、ドライバー志望ではありません。
だから、操縦テクは、ほとんど磨いてこなかったのです。(タミ・グラのセニア・ドライバーはマグレ合格)
この時私は、
「どうせ研修生の味噌っ粕(死語?)なんだから、デモ要員とはいえ、メンテ等の補佐をやればいいのだろう」
などと高をくくっていたのでしたが、しかし、世の中そんなに甘くありませんでした。
ショーの搬入日に会場に行ってみると、先輩から早速
「おまえ、やってみろ」
と言われました。
いやぁ この時はさすがに面喰いましたね。だって、大事なデモ車を壊したら、大変です。
でも、あたふたしていたら、設計室の大先輩であるMさんが登場したのであります。そして
「いいか、コースの平坦な部分で十分加速しろ。そして、壁に対してほんの少し斜め、中心寄りにアプローチするんだ。そうすると、車体が自然にジャンプする。その時にステアリングを切れば、前輪のジャイロ効果でクルマが自然にターンしてくれるんだよ」
とアドバイスしてくれました。
またMさんは
「思い切ってやれ。クルマが壊れたら、直せばいいんだからさ」
とも言ってくれました。さらに
「うまくやり遂げたら、ラジコン設計班に引っ張ってやるよ。せいぜいがんばりな」
と、殺し文句を貰いました。

さて、こうなると、頑張らない訳には行きません。
初めのうちは助走不足やアプローチ角度の悪さから「墜落」続きだったものの、10回目ぐらいにはなんとか成功の兆しが見え始め、最終的にはどうにか「実用レベル」になりました。

その後のホビーショー3日間の事は、良く覚えていないのですが、それこそ朝から晩までホットショットにエア・ターンをさせていたような印象です。
その合間にバッテリーの充電をしたり、壊れたところを直したりしていたのでしょう。
給料を貰ってラジコン三昧。
学生時代には、そんな生活に憧れていましたが、しかし、この時はそんな事を考えている余裕はありませんでした。

タミヤニュース1985 Vol.164

 

まあ、しかし、こんな訳で、私は未だに『ホットショット』と聞くと、ドキドキしてしまうんですよ。なんといっても、私を『プロデビュー』させてくれたマシンですからね。

ちなみに、ホビーショーのデモ走行で頑張ってしまうクセはこの後も抜けず、後に京商で管理職になってからも、しばらくミニッツのデモ走行の責任者をやっていました。
でも?本当はそんなに好きではないんですよ。だって、目が回りますからね。

さて、今年も静岡ホビーショーに行って、ラジコン設計屋としての『初心』に戻る事が出来ました。
あのプロデビューした時の気持ちを忘れずに、これからも、自分の理想とするRCモデルを作っていこうと思います。
皆さん、ご期待くださいね。