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ロボットの開発設計はアサイ・エンジニアリングへ!
株式会社アサイ・エンジニアリング

ラジコンが身を助けると思うか?

皆さん、こんにちは!

いや~、この2018年も半分が過ぎ、夏の足音が聞こえてきましたね。

それで、この頃は、けっこう暑くなってきて、ビールの美味い季節になってきました。
で、去年の今頃にも書いたんですが、私はビールの買い置きはしないようにしているんですよ。
だって、あれば、あっただけ飲んでしまいますからね。 だから、
『その日のビールはその日に一本買いに行く』
なーんていう、自分なりのセーブ作戦をやってます。
まあ皆さんも、飲み過ぎには、くれぐれもご注意のほどを!

では、余談はこれぐらいにしまして、そろそろ本題に行きましょうか。

さて、ちょっと時間が経ってしまったんですが、先月、模型ファンにはおなじみのイベント『静岡ホビーショー』が開催されましたね。

で、私は今年も社用車一号に乗り、エッチラオッチラと静岡まで行ってきたんですよ。

で、タミヤのブースに行って新製品を見た後、物販コーナーをウロウロしていたんです。そしたら、『著者のサイン入り!』なーんていうカンバンが目に入ってきたんですよ。
それで、「ん?」と思って、よく見てみたら、この本が並べてあったんです。

で、私
「えーと、著者って・・・・田宮俊作さん?」

なーんて、心の中で呟きながら、その本を手に取って、ページをめくってみたんです。
そしたら、ありましたね~ そのサインが!
で、そのままレジに直行したのでありました。

実は私、『田宮俊作さん』と聞くと、いつも心の中に木魂する言葉があるんです。それが、今回のタイトル
『ラジコンが身を助けると思うか?』
と言う、言葉なんですよ。

●1984年8月1日 タミヤ工場見学会
さて、時は遡って1984年の今頃、つまり6月であります。私はその時大学の4年生で
「そろそろ就職活動を始めないとな~」
っていう時期だったんですよ。

で、まあ、その頃から、いつかは独立してアサイENG.を創ろうと思っていたのですが、しかしながら、何の実績もないオタクの若造が、いきなり起業しても、社会で相手にされる訳がありませんよね。
それで、とりあえず、どこかに就職して修業しようと考えたんです。
で、だったら、子供のころから憧れていた、あの会社にアプローチしようと思ったんですよ。そう、タミヤですネ。

それで、とりあえず、
「貴社の大ファンの大学4年生ですが、新卒の求人はしていますか?」
という内容のハガキを出してみたんです。まあ、ダメ元みたいな思いが、半分くらいあったんですが。

そしたら何と、数日後に分厚い封筒が届いたんです。で、そこに入っていた書類には
「来る8月1日(1984)に工場見学会を行います」
なーんて書かれているではありませんか!
それで私はちょっと驚きつつも、参加する旨をタミヤに連絡し、必要書類(履歴書など)を送ったのでした。

まあ、『工場見学会』という名称ではありますが、要するに入社試験&面接であります。
それで、シャツとスラックスを新調し、肩まであった髪をカットして、静岡に出かけたのでありました。

出展:wikipedia

●いざ、タミヤ本社
さて、見学会の場所は静岡市のタミヤ本社です。
私は高校生の時からタミヤ・グランプリに出場してたので、タミヤ・サーキットには何度も行っていましたが、しかしながら、本社ビルに足を踏み入れるのは、これが初めてでした。
まあ、34年も前のハナシなんですが、本社玄関の自動ドアをくぐる時の緊張感と言うのは、今でも思い出すと胸が苦しくなります。

●見学会スタート
さて、社内に通されて着席すると、いよいよ見学会が始まりました。
最初に総務部の方が見えて一連の説明を受けた後、役員の挨拶、工場見学、学科試験なんていう具合で進行していったと思います。

で、学科試験が終わると、試験会場だった社員食堂で、そのまま昼食が出たんですよ。
でも私、学科試験の出来が悪かったので食欲が無く、あんまり食べられなかったんですよね~ で、
「こりゃ~ ムリだな~」
なんて呟きながら、周りを見回すと、なんだか優秀そうな人ばかり(に、見えた)
まあ、『FIRST IN QUALITY AROUND THE WORLD』を謳う世界のタミヤですから、そりゃ当然かな?っと、余計に落ち込んでいると、いよいよ見学会の最後のイベントが始まったのでした。

●恐怖の役員面接
最後のイベント、それは役員面接であります。
まあ、面接を受けるのが好きとか、得意とかって言う方は、あんまりいないと思いますが、私はそういうのって、特に苦手でありまして、この時の緊張感と言うのは、これまでの私の人生でもトップ5?に入るほど強烈なものだったんですよ。
しかも面接の順番は、私がトップバッターだったんです。おそらく順番はアイウエオ順だったんでしょうね。

さて、そんなこんなで、いよいよ名前が呼ばれ、面接室に入りました。
緊張している事が行動にも出てしまっていたのか、
「ずいぶん緊張しているね」
と面接官の方から声をかけられました。
私は思わず
「はい、あがり性なものですから」
と答えると、場内に笑い声が上がりました。これで少しリラックスできたようでした。

●ラジコンが身を助けると思うか?
やがて、面接官の中で、ひときわ眼光の鋭い紳士が口を開きました。当時社長を務めておられた、田宮俊作さん(以下社長)です。

「キミはタミヤのRCが好きで、わが社を志望してきたのか?」
最初の質問は、こんな内容でした。
私はとりあえず「はい」と答えました。すると社長は
「じゃあ、ウチに入って、もっとマシなラジコンが造りたい訳だな?」
と仰ったんです。

なーんだかイジ〇〇な質問でしょ? で、私「うわ~」と思いながらも、
「マシだなんて・・・そうですね・・・」
なーんて、ちょっとはぐらかして答えました。
皆さんなら、どう答えますか?

さて、その後も、社長の質問は続いていきました。
で、次の質問は
「じゃあ、タミヤ・グランプリには出場しているんだろうな?」
というものだったんです。

実は私、この質問を待ってたんですよ。
と言うのも、就活の一環?として、この見学会の3日前に行われたタミヤ・グランプリに自作マシンで出場し、コンクール・デレガンスと言う賞を貰っていたんです。なので私
「はい、こないだの日曜日にも出場しました」
と自慢げに言ったんです。すると、
「ほう。で、成績は?」
と尋ねられたんです。そこで私、
「レースの成績は良くありませんでしたが、コンクールデレガンスをいただきました」
と答えたんですよ。
すると、履歴書を見ていた他の面接官の方が、
「履歴書に過去5回、コンクールデレガンスを取ったって書いてあるよ」
と言ってくれました。
まあ、この時は、とにかくタミヤに就職したい一心でしたから、履歴書の賞罰欄にタミ・グラの受賞歴まで書いておいたんです。

すると、それを聞いた社長は、
「なるほど、そんなにラジコンが好きなのか。では、君はラジコンが身を助けてくれると思うか?」
と訊ねてきたんです。

まあこの言葉、その時社長は
「熱心なタミヤRCのファンなようだから、それに免じてウチで雇ってやろうか?」
みたいな意味で言ったんだと思うんですよ。
でも、深~い言葉ですよね。

まあ私、こういう仕事をしているので、ラジコンで不幸になった人、人生が狂っちゃった人を何人も見てきたんですんです。
なので余計にそう思うのかもしれませんが・・・・

しかしまあ、そんな訳でそれ以来、京商に移ってからも、独立してからも、ラジコンの仕事で苦労していると、頭の中に、あの時の俊作社長の言葉が、なんか、お寺の鐘のように響き渡るんです。
そしてまあ、そのたびに自問自答するんですよ
「ラジコンは、果たして、自分の身を助けているのだろうか?」

さてこの質問、私は
「はい、そう思いたいです」
と答えたと思います。
まあ、それしか言いようがありませんでしたね。

●最後の質問
さて、いよいよ、社長の最後の質問になりました。
で、この質問が何ともイジ〇〇で、その印象は今でも強烈に残っているんですよ。

さて、まず社長は
「ウチのファンだったら、タミヤニュースは当然読んでいるな?」
と訊いてきたんです。
それで、私は「はい」と答えたんです。まあ、中学生の時から愛読してましたからね。
そしたら社長は更に、
「では、最新のタミヤニュースのウラ表紙には、何が描いてあったかね?」
と質問してきたんです。
ねえ皆さん、ウラ表紙ですよ、ウラ表紙! どう思います?

で私、少しギクッとしたんです。でも、冷静になって、数日前に読んだ最新号(Summer Extra 1984 Vol.155)を思い出してみたんです。それで
「たしか、伊太利屋カラーのポルシェ956だったと思います」
と答えました。

すると場内は少しざわめき、面接官の方たちは顔を見合わせていました。
で、私は
「あれっ、間違ったかな?」
と思っていると、
「はい、お疲れさまでした」
と言う声とともに、面接は終わりました

タミヤニュース 1984 Vol.155 Summer Extra

そのあと、家に帰ると、真っ先にタミヤニュース最新号のウラ表紙を見ました。
それが今回のアイキャッチ画像なんですよ。

まあ、前回のブログの話もそうでしたが、私の人生って、つくづく、タミヤニュースの影響を受けて、ここまで来ているんですよね。

で、ちょっとこれは、今タミヤニュースの編集に関っているおられる方々への『浅井伸一のお願い』ですが、世の中には、タミヤニュースの記事で人生が変わってしまう人間がいるという事を、ちょっとだけ、頭の隅に置いておいて貰えればと思うんですよ。

さて、でも、最近になって気が付いた事があるんです。それは
「ウラ表紙で良かった」
って、事なんです。
だって、オモテ表紙だったら、実は答えられなかったかもしれないんです。
だから最近は、あの時社長は、わざと私が答えやすいように、ウラ表紙の事を聞いてきたのではとも考えているんです。考え過ぎでしょうかね?

ともあれ、あの時の事を、あらためて俊作さんにお聞きしてみたいと思っているんですが、どうしたらいいんでしょうか?
また、タミヤにハガキでも出してみようかな?
ちゃん♪ ちゃん♪